はじめまして。
ガマン・不安・緊張の悪循環から抜け出し
心から笑顔になれる人生へと導く
≪AC*愛着障害*うつ専門 カウンセリング≫
心理カウンセラー
夏芽 ミチルです。
現在は、自分の経験と知識を生かして
アダルトチルドレン・愛着障害・うつ病を専門としたカウンセラーで活躍をさせていただいております。
昔のわたしが抱えていた悩みの一部
● 完璧にしないと誰からも認めてもらえない
● 人の評価を気にしすぎてムリをしてしまう
● 見捨てられるのではと感じて不安になる
● 人に見られていると作業がうまくできなくなる
● 幸せになってはいけないと思ってしまう
● 物ごとを悪いほうに考えがちで苦しくなる
悩みのごく一部をご紹介しましたが、
実際は、数えきれないほどの悩みを抱えて苦しんでいました。
たくさんの悩みを抱えたまま、自分の心の悲鳴を無視ししつづけた結果・・・
うつ病・パニック障害・PTSD・摂食障害などの二次的な精神疾患を抱えてしまいました。
病院に通っても良くならず、
いくつもの精神科やメンタルクリニックを転々と、、、
会社にも行けないくなり、引きこもり歴10年以上。
わたしの家庭は、虐待があったわけでもありません。
ただ、幼少期のころに無条件の愛情を育めていなかったのです。
そしてHSPの要素を持っているわたしは、
両親の何気ない態度を悪い方へ深く考えたり、先読みして自分を責めていました。
そんな私が、カウンセリングを受けて徐々に前向きになっていきました。
カウンセリングを受けながら、
カウンセリングのノウハウを自分に取り入れ、簡単なセルフケアも楽しんでしていきました。
自分の心の声に耳を傾け、インナーチャイルドを中心としたイメージワークで安心の土台を形成し、偏った心のバランスを整えていきました。
生きづらさを克服して、やっと自分の人生を手に入れることが出来ました。
もしも、あなたが
わたしって、アダルトチルドレンかも?
愛着障害なのかも?
それとも、、、うつ病?
原因は分からないけど生きづらい
何とか良い方向へ進みたいけど、どうしたら良いか分からない
カウンセリングを受けてみたいけど怖い・不安と思っている方へ
私の事を少しでも知って頂き、一歩を踏み出すきっかけになればとおもい、まず最初は簡単に書きづずらせて頂きます。
● 親の理想の子供に近づくために自分を押し殺す子供時代 ● 人の評価を気にして自分を追い込んでしまう ● 見捨てられるのではないかと感じて不安に思う ● 完璧主義思考・他人軸で物事を優先した結果、うつ症状が出始める。 ● 環境を変えても悩みを解消できなかった。 ● 失敗を恐れ「正解」を見つけるために自分を追い込み続けた。 ● 周囲を頼ることができず、平気なふりをし自分をだまし続けた。 ● 「自分は価値のない人間だ」と強く思うようになる。 ● 自己肯定感が低くなり続けうつ病も悪化。 ● 自殺企図をするようになる。
このような経緯をたどり、完ぺき主義思考や
不安からの悪循環から抜け出せず、長い間苦しみ続けました。
もっと早くカウンセリングを受けていたら、ここまで酷い状態になっていなかったのではないか?と深く感じます。
心理カウンセリングを本格的に学び、繰り返された不安からの悪循環や、完璧主義思考からも抜け出すことができました。
では、カウンセラーは誰でもいいの?
そんな疑問が頭をよぎると思います。
正直わたしは、カウンセラーなら誰でもいいとは思っていません。
理由として
カウンセリングは “あなたとカウンセラーの共同作業” なのです。
カウンセリグとは「クライアントであるあなた」と「カウンセラー」との相性は、とても重要だと思っています。
だからこそ、少しでも私を知って頂くの大事なことだと感じています。
あなたに安心してもらえるように、これまで私が抱えていた問題・酷くなった症状・人生を楽しめるようになった経緯を知って頂けたらとおもいます。
私という人間に興味を持って、読んでいただけると嬉しいです。
【詳しいプロフィール】
幼いころからわたしは、母親に言われていた言葉があります。
「ちゃんとしなさい!」
そのほかにも、母親に言われた言葉
「姉だから●●しないとダメ!」と、弟や妹の面倒を見ながら幼少期の生活を送っていました。
母親に認めてもらう為に、小学校3年生の頃には、家事をするようになりました。
その頃には、母親の顔色を見ながら、何をしたら喜ばれるのかを考えて過ごすことがおおくなりました。
それは・・・
「あなたは良い子だね、がんばってるね」と認められたかった。
そして・・・愛されたかった。
でも、母親の愛を感じることはできませんでした。
どんなに頑張っても、褒めてもらえないのは、自分の頑張りが足りないと思っていました。
日常的に「●●で、なければいけない」と母親の理想を言われ、完璧でなければならないと思うようになっていきました。
どれだけ頑張っても「認めてもらえず・・・褒めてもらえなかった」私は、自己否定をするようになっていきました。
もっとしっかりしなければ・・・・
もっと期待に応えなければ・・・・
お母さんには愛されない・・・
愛されない私は・・・・価値がない。
母親の口癖の
「ちゃんとしなさい!」が頭から離れませんでした。
それはとても辛く、誰にも見えない所でこっそりと、泣いて過ごした子供時代でした。
完璧主義思考になり、親の言いつけを守り続けた結果、
私は自分の意志を優先できない他人軸で生きるようになり、言いたいことが伝えられず、常にガマンをして、大きなストレスを感じるようになっていきました。
小学生のころ、突然の吐き気・めまい・動機・何をしても楽しめないうつ症状が出始めます。
うつ症状がではじめたキッカケは、母親に置き去りにされたという不安感です。
両親が不仲で、母親が家を出て行ってしまうことも度々ありました。
母親が家をでるときは、弟や妹を連れて行きます。
わたしは置いて行かれていました。
母親が連れて行く子どものなかに、わたしは毎回含まれていませんでした。
おおくな不安や悲しみが、こころを蝕んでいきました。
我が家で居場所のなかった私が求めたのが外の世界でした。
明るく誰からも好かれたい!そんな気持ちで「嫌われないように・・・」していた高校生時代。
人との関わり方の加減がわからず、極端に近くなった依存気質を持ってしまい、ウザがられたこともありました。
友人に見捨てられるのでは?と不安に感じてしまい、嫌なことも嫌だと言えず、気持ちを押し殺していました。
周りの空気や、人の目を気にする子供時代を送っていた私の行動は、変わっていませんでした。
いつでも他人優先で、自分の考えを伝えることができませんでした。
人との距離感もわからずにいたわたしは、
新しい職場でもなじむことが出来ず、短期間で5つの会社を転々としました。
28歳で入社した会社では、女性が多い部署でした。
今まで周囲と上手に関われなかった自分、自己表現できなかった自分を辞めようと決意しました。
そして私は間違った選択をしてしまいました。
自分と他人との間の壁をもっと高くし、近寄りにくい存在になっていきました。
完璧になるように仕事をし、1秒の遅刻も許さず、1ミリのミスをしないこと。
完璧主義の要素をもっていた私が、自分を許さない方向へ進み、ますます自分を追い込んでいきました。
小さなミスを恐れたり、
人の目を気にしてガマンし続け、たった一つの言葉を言えなかった。
「助けて・・・・」
自分自身にも、その「助けて」の言葉が届くことはありませんでした。
眠れない日々が続き、食欲が落ち、倦怠感がではじめ・・・・それでも、私の心と身体に起こっている症状を無視し続けました。
・会議中によく起こる眠気
・緊張しているはずなのに襲い掛かる睡魔
・自宅でに帰れば、スーツのままソファーに倒れこみ一時的に意識を失う
・浴中でも意識を失う
ストレスによる失神です。
この失神はとても危険な状態です。
緊張状態にもかかわらず眠気が起きている場合は、病院又はカウンセラーにご相談ください。
眠れない・倦怠感で酷く疲れていた私は、病院へ行く事にしました。
最初は内科に行きましたが、主治医から精神科に行くように促されました。
精神科に症状を伝えると、うつ病と診断され大量の薬を与えられました。
最初の頃は、薬により眠ることもできました。
ですが、半年もたたない間に、睡眠薬は徐々に効かなくなり、強い薬へと変えられました。
睡眠薬も2種類を2錠づつ+安定剤2錠=6錠を寝る前に飲む生活。
それでも眠れずに朝を迎える事が多かったです。
休日には外に出かけることもなく、朝方眠りはじめ、夕方までベットから出られないこともおおくなりました。
父親に突然呼び出され、末期ガンになった事を知らされます。
闘病生活や手術に不安を抱いていた父親は、私に助けを求めてきました。
わたしは、職場と病院の行き来をしながらの生活になっていきました。
余命3カ月と言われた父親は、1年半後に死去。
余命よりも長く生きてくれたのに、父の死は私のせいだと思い込むようになっていきました。
わたしがもっとしっかりしていれば・・・・
わたしがもっと寄り添っていれば・・・
お父さんはもっと長く生きていたはずなのに・・・・
私は自分を責め続け、1か月後にはベットから出られず、会社に行く事が出来なくなりました。
自分を責め続けた結果、会社に出社できなくなった私は、会社に嘘の退職届を出しました。
朝ベットから起きることができない自分を、だらしない人間だと絶対に思われたくなかった。
弱い自分を見られるのがとても怖かったのです。
ひとり暮らしができなくなった私は、一番一緒に過ごしたくない母親と同居をし始めます。
母親も一人で暮らしていたため、本人の老後の事もあり、すんなり同居を許してしてくれました。
しかし母親は、理想の娘になっていなかった私を「管理・監視」するようになりました。
そして、私が精神科に通っている事を知ると、それを周りの人に悟られないように自分の仕事を手伝わせました。
長い間、精神病院に通っていた私は、立派な薬依存になっていました。
睡眠薬・安定剤を飲まないと不安で、気が狂うほどになっていきまいした。
薬を飲んでも眠れなければ、処方されている倍以上の睡眠薬を飲んでいました。
結果的に、大量に飲んでも眠れなくなっていきます。
明け方まで起きている不安や恐怖を覚えるようになっています。
母親の監視下の中で生活をして、早く変わらなければ・・・と焦っていたわたしですが、カウンセリングをうけるという選択肢を持ちませんでした。
・まだ自分で何とかできる
・カウンセリングを受けるなんて、周りになんて思われるんだろう
・カウンセリングを受けても良くならなかったらどうしよう
・私はカウンセリングを受けても良いのだろうか
・幸せになってもいいのだろうか
こんな気持ちで、カウンセリングを受けるという選択肢を除外してきました。
そしてわたしは、うつ病だけではなく、PTSD・パニック障害・広場恐怖症・摂食障害・記憶障害などを併発していきました。
二次疾患を抱えたわたしは、物音に敏感になり、外へ出る恐怖心も強くなりました。
外にも出られず、部屋からも出る事を怖がりました。
自殺願望や自殺企図をするようになり、生きている罪悪感で押しつぶされそうな毎日を送っていました。
インターネットで自分と同じような症状で、改善できるのか検索をしていました。
その中で、カウンセリングを受けて、劇的に変わった人達の意見を垣間見れることができました。
その意見の中で、「あなたも幸せになってもいいんです」という文字が目に焼き付いていきました。
薬だけには頼らない改善方法を見つけたわたしは、カンセリングを受ける決意がやっとできました。
カウンセリングをうけて、過去のトラウマや二次疾患になった原因を見つけ出してくれました。
まずは、しっかりとインナーチャイルドを癒すことで、安心の土台を作りました。
そして、たくさんのイメージワークを取り入れて、こころのバランスを整えていきました。
もっと自分の病気について知りたいと願うようになり、カンセリングの勉強をしながら、自分を観察するようになりました。
カウンセリングに興味を持ったわたしは、心理カンセラー養成講座を受けはじめました。
自分の身体の症状や、小さく残っていたネガティブな思考と向き合い、インナーチィルドワークなどを含むたくさんのスキルで、もっと安定した安心の土台を作りはじめました。
その時の自分に、無理のないことから始めるので、座絶することなく続けることが出来ました。
幼い頃の寂しさや事件の恐怖を断ち切り、他人軸思考や完璧主義思考を終らせました。
パニック障害やPTSDを克服し、アダルトチルドレンを改善して、うつ病などの病気も完治させました。
病気のときは、想像もできなかった未来をいつの間にか手に入れていました。
また、自分らしく生きることで、毎日が楽しくなりました。
☘ 現在カウンセラーとして活動
約30年の間苦しんだアダルトチルドレン、
愛着障害・うつ病・PTSDなどを乗り越えた心理カウンセラーとして、
様々な症状で悩んでいる方のサポートをさせて頂いております。
生きずらさを感じているが、「助けて」が言えず、一人で苦しんでいるあなたへ。
意識のブロックや、悩みの根っこにある問題を見つけだし、生きづらさや、心の悩み改善をしています。
悪循環から抜け出せず
ひとりで苦しみ
戦っているあなたを全力でサポートします。
悪循環から解放され
もっと自分を好きになって
この先の人生を楽しんでほしい!
だから少しだけ、
カウンセリングを受けるハードルを下げてみませんか?
気軽にお申込みください。
最後まで読んでいただき
🌸ありがとうございました🌸